…続き


──青天の霹靂。
 
余りのショックに平静を保つのに必死でしたが、ご意向は明瞭ですし、ご意志も既に固まっているご様子でしたので、お話はそこまで。
 
割り切れなさを感じながらもこれまでのご愛顧に謝意を示し面談を閉じました。
 

お父様が教室を後にされたのち、すぐにお母様よりお電話がありました。

「やはりそうなりましたか。子供とも一生懸命抵抗はしたのですが…すみません」

聞けば、普段ご子息のご教育には「むとんちゃく」なお父様だとのことですが、ある日の夕食時突然切り出されたそうです。

「○○(ご子息のお名前)の勉強はどうなってる?塾の方はどうなんだ」
「楽しく通っているわよ。宿題もないし本人も気に入っているみたい」
「宿題がないなんて、そんな塾があるはずがないだろう」
「でもその代わりに週にもう1時間、課題をみんなでやる時間を用意してくれているのよ」
「やっぱり小さい塾じゃだめなんだよ」
「○○(塾名)。つくばではみんなそこに通うって言うじゃないか。そっちに替えなさい」

お母様はご子息が当学でどれほど成長したのか、いくがくのユニークな指導方法、そして何よりお子様の気持ちを前面に説得をして頂いたのだそうですが、どうしてもお父様の気持ちを変えられなかったということでした。
 
「過去にもそういうケースはありました。大丈夫ですよ。一度外の世界を見てみることも貴重なご経験です。当学では一度はおやめになった方の復帰率も8割に迫りますので、きっとそのうちお父様も気付いてくれるはずです。しばしのお別れですが、困ったことがあればいつでもご相談下さい」

そう申し上げて電話を切りました。
 

その後、その子は新しい塾の水に慣れずお父様のアドバイスにより数塾を転々。

風の噂に「今もその子らしいパフォーマンスを発揮できぬまま」と聞いた私は矢も楯もたまらず勇気を奮ってお母様にご連絡を致しました。

その後「お父さんはその後に招く結果に関知しない」ということを条件にお子様の復帰は許され、当学の指導下で、ご当人なりになんとか納得の行く受験を全うすることができました。
 

失ったのは充分な伸びしろを活かせるはずだったはずの貴重な「時間」。
いかんともしがたいことではありますが、いかにも口惜しい出来事でした。
 

 

今一度お伺いしたいのです。
 

お子様の塾に何をお求めになりますか?
 
 
 
私の出身大学は早稲田大学(政治経済学部経済学科)ですが、成績上位の学生の中に進路として「予備校・学習塾」を志願する者はただの一人もおりませんでした。
 
みな、学生時代のアルバイトとしては塾・家庭教師を「第一」とするのにもかかわらずです。
 
多分に漏れず私も学習塾3つを掛け持ちし、週6日の体制で教務にあたっておりました。

勤務した塾はどれも小さな塾。法人1つに個人事業2つ。
あえてその規模の労働環境を志願しました。

マニュアルに縛られオリジナリティを発揮できないJOB環境が自分の目指すものに合致しなかったのです。
 
それに、実は「大企業」に比べては、そちらの方が時給も良かった。
 
 
塾での仕事は本当にやりがいのあるものでした。楽しかった。そしてなにより幸せでした。

──それでも、
 
私は卒業後「学習塾なんか」には就職しませんでした。
 
許認可事業でもない、資格も求められない。社会に適合できない無頼漢のあつまり。
巷にあふれる学習塾とは、とどのつまりその程度のものなのです。
 

私の教え子はよく、
「将来は塾の先生になりたい。先生みたいな仕事がしたい」と言ってくれます。
 
しかし私は苦笑いして答えるのです。
 
「筑波大学に受かったら是非ここで一緒に手伝って。僕は僕の教え方に慣れた『教え子』しか雇わないからね」

「その後は自分の夢を追いかけるの。その時『塾の先生』は、たぶん君の目指すものとは違っているはずだよ」


 
大学卒業後就職したのは公認会計士千余名を数える、当時「日本最大」の監査法人でした。入社選考におけるSPIテスト、および入社後のプレゼンテーションスキルで同期内最高点を記録し、意中のコンサルティング部門配属の辞令を得ることができました。

数年の金融系システムコンサルティング経験を経たのち、ストラテジー系に転属。配置先となったHRM(Human Resource Management)divisionでは、人事面で多くの会社の業務改善をお手伝いして参りました。


 クライアントの中には少なからず学習塾もおられました。テレビCMを通じ、皆さんもよく知る「大企業」です。


HRM的視点で状況分析と改善提案に明け暮れていた当時と、核心として捉えている部分は今も何も変わりません。


すなわち、「学習塾とは究極の労働集約型産業」なのです。
言い換えれば、教壇に立つ「人が命」の商売です。

 

いかに掲げる看板が大きかろうとも、派手なテレビコマーシャルを繰り返し流そうとも、その原則は変わらない。
 
この産業において、結局はお子様の「目の前に座るその人の力量」だけが、
そのサービスの質、お子様の学びの質を決定する要素なのです。
 

 
お問い合わせの中で時折頂くご質問があります。
 
「去年この塾から土浦一高には何人が合格しましたか」
 
お問い合わせにはそれとして回答を致すものの、心の中では逆にこのように尋ねるのです。
 
(そのご質問はあなたのお子様のこれからにどのように係わりがあるというのですか?)
 
東京を離れ当地つくばに「いくがくゼミナール」を開設した当初は、安定した会員数を確保するため「成果」に関する指標を積極的に公開していました。
 
・全国小中学生学力カップ、中1総合2位金賞・小4総合3位金賞獲得
・茨城統一テスト全県1位、のべ9名輩出
・谷田部東中4年連続総合1位輩出
・第8学年までに英検2級を受験したものの全数が合格
・定期考査数学19点で入会→3ヶ月で97点へと5倍増
・中学部を経て高校部に進学した会員のほぼ全数が学年「一ケタ順位」を達成。その約半数が「1位」を経験。
 
いずれも地力のあるお子様をただ受け入れ「任せた」ものではありません。

「5科400点を過去に一度でも達成したことがある」という要件下でご入会を頂いた「フツー」のお子様を学内でお育てした上での成果です。
 
 
しかし経営の安定した3年前からは、こういったパーソナルな成果の披瀝は一切行わないこととしたのです。

理由は、
 
「無意味」だから。
 
 
いかに優秀な生徒がその「場」に集まろうとも、またその逆であろうとも、
学びによって得られる我が子の幸福の度合がそれによって増減するものではありません。
 
そもそも、その教室から土浦一高に何人の合格者を出そうとも、それは個々の生徒が努力し、自らの手で得た勲章。「よその畑」なのです。
 
 
もっというと、偏差値65以上(全体の15%強)に位置付く生徒は、本来「学習目的での学習塾」など必要としません。
 
塾に通おうが通うまいが「受かる」のです。
 この事実を見過ごしてはなりません。
 
 
では一体なぜ、その「優秀な子達」は塾に通うのでしょう?
 
それは「親が言うから」です。「友だちが通うから」なのです。
 いわば親孝行と趣味ですね。
 
必要性のあまりない優秀な子供達の背中を押す(見守るだけの教室もあります)。
その結果統計上の一定の割合で得られる「合格」という結果を、まるで我が功労であるかのように喧伝する──。
 
そこに一体どんな意味があるというのでしょう?

先に申し上げた「無意味」の意味がお分かりかと存じます。
 

 
おそらく先のご質問を投げかけられる保護者様の仰りたいことは、次のようなことなのでしょう。
 
「優秀な子の多く通う塾にいると我が子も伸びる」
 
そういう集団の中にあれば我が子の競争心が触発され、好敵手との切磋琢磨の中で手を引かれるように伸びていくとお考えなのでしょう。
 
 
30年近く補助教育業の現場を見てきた私は断言します。
 
…残念ながらそれは悲しい勘違い。夢想です。
 
 
競争心には正と負の局面が背中合わせに存在します。
競い凌駕すべき存在が唯一である場合、その競争心は健全な形で機能するものです。
 
すなわち「目の前の誰それ(なにこれ)に勝つ」と。

しかし、ほとんどの場合自身が追い落とすべきライバル、目標とすべき成果は山の様に存在するはずです。
 
「席次が自分より上の生徒達」だけではありません。
 
英数国理社の各教科、点数や偏差値、講師の評・褒賞…
 
あちらが出っぱればこちらが引っ込む。全てを満足する形で手にできるお子様など誠に稀な存在です。
 
終わりの見えない「目標地獄」──。

疲れ果てた中で頭をもたげてくるのが「負(ふ)の競争心」です。
 
 
「今回○○君よりは上だったからいいや」「○○君ってバカだな」「○○君は宿題をしてこなかったのに叱られないのはずるい」…
 
目線が下を向き始めては「優秀な集団」の存在自体が「妥協と言い訳の温床」となり下がります。
 
果ては、
「世の中にはすごい人もいる」「○○君ってすごいんだよ」と…。
 
お子様が、ある日所属するグループ内の他者を褒め始めたら要注意です。
それは「現実を知りました。ここが僕の限界です」「努力はここまでにします」との敗北宣言に他ならないのですから。
 
 
先に挙げたようなご質問を頂く保護者様はものの本質の見えていない、かわいそうな保護者様だと思います。
 
人格の完成した大人の価値観を変容させることなど土台無理なお話ですし、それはすべき事でないこともよくわかっています。
 
限られた時間のすべてはお子様の教育訓練に集中したいところ。
このご質問を第一とされるご家庭は、誠に残念ですがご縁がなかったものと諦めることとしています。
 


 
一方、このようなご質問を投げかけてくる親御様もおられます。
 
「子供もこのとしになると私達にはなにもできません。どうしたらよいのでしょう?」
 
このご質問は尊いものです。

お子様を一つの人格と認め、これからの親としての役割を謙虚に捉えたうえでその責任を全うすべく決意をしておられる。
 
類型化が正しいこととは思いませんが、30年も人と向き合っていると、保護者様の気質と子供の「でき」との間に強い相関があることが見えてきます。
 
 
ひとつの側面のみ申し上げましょう。
 
「穏やかでぽぉっとした親御様」のお子様は、「他者への思いやりに長け、自主性と忍耐力に富む」優秀な生徒であることが多い。
 
同じ傾向が一人親、こと「シングルマザー」のご家庭にも強く見られます。
 
 
一方で「聡明かつ理論的、時として神経質で強圧的な親御様」のお子は、「消極的で内罰的思考に囚われがち。表層を取り繕うきらいがある」ことが多い。
 
 
先のようなご質問を投げてくださる親御様は、高い確率で前者の性向を示すため、私としては是非ご入会を頂きたいと色めきます。
 

 
当学の掲げる「伸びる子三原則」
 
「すなおな子・ていねいな子・謙虚な子」
 
これは、子供への愛情に溢れ、その子を信頼し任せ、親自らが背中で行くべき道を示した結果、自然に形づくられる「学習適性」の素養なのです。
 
幼少期に家庭内で築かれるべきであったこれらの素養。
いくがくはそこからお子様を訓練し直します。
 
 
これはとても、とても大切なことです。
 

私の周囲の人間関係、いわゆる成功者・エリートと呼ばれる皆さんは、みな等しくこの素養を供えています。
 
 
***
 
ここまで読み進めて頂いた中で、あなたがもし「勉強以外のことはいいです」とお感じになるのであれば、
残念なことですが、おそらく当学はあなたの求める学習塾ではありません。
 
***
 
 

 
ところで先の、「家庭は子供に対してどのようにあればよいのでしょう?」とのご質問ですが、
 
私はこう答えることとしています。
 
 
学校は主に集団生活と規範意識を身に付ける場。
いくがくは学習の素養を鍛え、道理と技術を学ぶ場。
ご家庭は栄養と安息を与え、家族の紐帯を強くする場。
 
 
ご家庭では「勉強しなさい」の代わりに、「いくがくに自習に行くか、その必要がなければ皿洗い(家事)をお願い」の言葉に替えて下さい。
 
他にお勉強の面でお母様にして頂くことは何もございません。
 

 
教育とはまさに「人づくり」。そのプロセスは複雑で非常に困難な作業の連続です。

登るべき階段を指し示し、「目標地獄」に迷い込まぬよう段階を追って一つずつ達成目標を明示する。
 
時には現実にある不条理に目を向けさせ、恐怖させ。
多くの時は愉しませ、癒やし、そして夢と自信を与え続ける。

そんな人心の機微に触れる「人づくり」の行程が、あなた様に比しては凡庸な「塾の社員講師」に果たして務まるものでしょうか?
 

まだ人生経験に浅く、自身が「自分探し」の最中にある学生講師に、その困難な課業が務まるとお考えですか?
 

 
看板の大きさが塾の価値なのではありません。それはお金儲けが上手なだけ。

 
インターネットで表示される学習塾のランキングサイト。順位は支払った広告費の多寡によって決まります。

「お祝い金として○○円のギフト券を差し上げます」など、馬脚を現すとはまさにこのこと…。その○○円ははたして誰が支払うのでしょう?
少し考えてみればすぐに分かることです。
 

同様に、ネットのクチコミはほぼ全てが「業者により作られたもの」。
実際当学にも頻繁に売り込みがあります。
 
Amazonの★5コメントと同じ。
世の中には学習塾業界にすり寄るサクラ専門の事業者もたくさんあるのです。
 
多くの優良な学習塾ですら「クチコミそのものがないのが普通」という事実に目を向けて下さい。
気に入らなければやめていく、成果が出れば謝意は直接示す。
──学習塾のような「役務提供型契約」に対し、食べログ的「クチコミ」は発生しにくい。そのことの原理を理解すべきです。
 
 
そして、繰り返し放送されるおもしろおかしいテレビコマーシャル。
あのコミカルな悪ふざけを見て、我が子の人生のかかる「教育」というissueを託そうとする親御様は果たしておられるものなのでしょうか?
 
お子様を対象としているにしては、伝えようとする情報の中身はいかにも大人向けです。
 
「この会社に入ればなにか楽しいことがありそうだ」と…、

そう、あれは「求職活動を控えた学生に向けたメッセージ」なのであると知るべきです。
 
HRMの大前提、大企業には「現時点での質はともかく、とにかく可能性のある新卒の数を確保する」という命題が常に横たわっているものなのですから。
 
 
 
──生徒・社員のアタマ数を揃えなければ経営は成り立たない。

事情は分かりますが、消費者不在の「広告戦略」などで、わざわざ自らを貶めることもありますまい。
 
「コッチは真剣に子供の学び場を探しているのだ。馬鹿にするな!」思わずそんな気持ちになります。
 
 

 
 
多くのご家庭にとって学習塾選びは一生のうち数度のこと。

普段あまり意識をするようなことでもありませんから、その実態について「初めて知った」という部分もおありなのではないでしょうか。
 
塾選びにおける紆余曲折は、何よりも貴重な「お子様の成長にかける時間」を失うことにつながりかねません。
 
 
僭越ながら申し上げます。
 
塾の実力、その本質を見極めるための眼力を養われますように。
我々大人より数段密度の濃い、お子様の貴重な時間を「失わない」ことがなにより肝要なことです。